2015年12月22日
「下町ロケット」発見! 元東芝下請け町工場の小さくても生き残る道
引用元:YAHOOニュース プレジデント 12月22日(火)11時15分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151222-00016916-president-bus_all
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■新商品を開発しない限り、生き残る道はない
東芝の下請けの町工場から脱し、「包装と放送」を融合させた事業に業態転換し、自社ブランドを持つことに成功したユニークな中小企業がある。つい最近は、健康食品事業にまで進出した。その変身のプロセスを追っていくと、経営者が夢を語り、社員たちを鼓舞させながら覚悟をもって長期ビジョンで仕事に取り組めば、規模は小さくても生き残れることを示唆している。今テレビドラマで人気の『下町ロケット』を彷彿させる。
その中小企業とは「日本テクノロジーソリューション」(本社・兵庫県高砂市、岡田耕治社長)。旧社名は岡田電気工業で、2004年に現社名に変更した。岡田電気工業は、岡田耕治氏の父が1976年に脱サラで創業。仕事の大半が、東芝のブラウン管工場向けに、その検査装置を製造して納入することだった。
当時を岡田氏がこう振り返った。
「私が継いだときは、ブラウン管はまだ売れていましたが、将来を見通して液晶・プラズマテレビ向けの検査装置の開発に取り組んでいました。00年に初号機を1台約2000万円で初受注しましたが、半年後の2号機の提示価格は700万円。韓国や台湾の装置メーカーがそのぐらいの価格でやるので、との理由だった。きっと薄型テレビも、半導体と同じ命運をたどるだろう。もはやディプレイ業界では生き残れないと感じました」
会社を引き継いだときには、借入金はほとんどない優良財務体質だったが、資金繰りに余裕があるわけではない。このままでは、いずれジリ貧に陥ると岡田氏は考え、約10人の社員を前に「うちの会社に残された時間はない。新商品を開発しない限り、生き残る道はない」と宣言、業態変換を目指すことにした。
しかし、これまで優秀な東芝の下請け企業として安定した受注をもらい、業績も堅調だったため、新社長が変身を宣言しても、社内はそれを真に受けてくれなかった。このままでは会社が存続できないことを伝え続け、社風を変えるために、中途採用も強化することなどで、企業文化を変えることから始めた。
■過去を健全に否定することがポイント
そして、まず岡田氏が新商品開発で考えたことは、自社の強みと新市場を連結させることだった。岡田電気工業の強みである熱処理や制御、検査などの技術が、これからも内需の成長が見込まれる医薬品や食品の市場と結び付けばチャンスはあると考えた。あるエンジニアが「容器に巻いたフィルムを熱で縮ませて包む『シュリンク包装』の機械を、低コストで小型化できれば新規参入のチャンスはある」と提案してくれた。
(中略)
生き残ることができる企業は規模が大きいからではない。マンモスが死滅してしまったのと同様に、環境の変化に耐えられない企業は発展しない。ガラパゴス島の鳥は、餌を取る環境の変化に合わせて嘴の形が変わっていったそうだ。日本テクノロジーソリューションという企業が変身していく有様は、ガラパゴス島の鳥の進化を見ているようでもある。
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「日本テクノロジーソリューション」のHPです。
http://www.solution.co.jp/

一度お話を聞いてみたいです。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151222-00016916-president-bus_all
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■新商品を開発しない限り、生き残る道はない
東芝の下請けの町工場から脱し、「包装と放送」を融合させた事業に業態転換し、自社ブランドを持つことに成功したユニークな中小企業がある。つい最近は、健康食品事業にまで進出した。その変身のプロセスを追っていくと、経営者が夢を語り、社員たちを鼓舞させながら覚悟をもって長期ビジョンで仕事に取り組めば、規模は小さくても生き残れることを示唆している。今テレビドラマで人気の『下町ロケット』を彷彿させる。
その中小企業とは「日本テクノロジーソリューション」(本社・兵庫県高砂市、岡田耕治社長)。旧社名は岡田電気工業で、2004年に現社名に変更した。岡田電気工業は、岡田耕治氏の父が1976年に脱サラで創業。仕事の大半が、東芝のブラウン管工場向けに、その検査装置を製造して納入することだった。
当時を岡田氏がこう振り返った。
「私が継いだときは、ブラウン管はまだ売れていましたが、将来を見通して液晶・プラズマテレビ向けの検査装置の開発に取り組んでいました。00年に初号機を1台約2000万円で初受注しましたが、半年後の2号機の提示価格は700万円。韓国や台湾の装置メーカーがそのぐらいの価格でやるので、との理由だった。きっと薄型テレビも、半導体と同じ命運をたどるだろう。もはやディプレイ業界では生き残れないと感じました」
会社を引き継いだときには、借入金はほとんどない優良財務体質だったが、資金繰りに余裕があるわけではない。このままでは、いずれジリ貧に陥ると岡田氏は考え、約10人の社員を前に「うちの会社に残された時間はない。新商品を開発しない限り、生き残る道はない」と宣言、業態変換を目指すことにした。
しかし、これまで優秀な東芝の下請け企業として安定した受注をもらい、業績も堅調だったため、新社長が変身を宣言しても、社内はそれを真に受けてくれなかった。このままでは会社が存続できないことを伝え続け、社風を変えるために、中途採用も強化することなどで、企業文化を変えることから始めた。
■過去を健全に否定することがポイント
そして、まず岡田氏が新商品開発で考えたことは、自社の強みと新市場を連結させることだった。岡田電気工業の強みである熱処理や制御、検査などの技術が、これからも内需の成長が見込まれる医薬品や食品の市場と結び付けばチャンスはあると考えた。あるエンジニアが「容器に巻いたフィルムを熱で縮ませて包む『シュリンク包装』の機械を、低コストで小型化できれば新規参入のチャンスはある」と提案してくれた。
(中略)
生き残ることができる企業は規模が大きいからではない。マンモスが死滅してしまったのと同様に、環境の変化に耐えられない企業は発展しない。ガラパゴス島の鳥は、餌を取る環境の変化に合わせて嘴の形が変わっていったそうだ。日本テクノロジーソリューションという企業が変身していく有様は、ガラパゴス島の鳥の進化を見ているようでもある。
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「日本テクノロジーソリューション」のHPです。
http://www.solution.co.jp/

一度お話を聞いてみたいです。